ビデオグラファーが演出家として成功するためのヒント


業界を代表する演出家による鼎談、第2回です。
初期のお仕事の話から、作品作りで意識されていることなどをお話いただきました。

前回の記事はこちら。



時代に背中を押されて

大石:柘植さんもプロダクションに入られてからメイキング動画をやられていたんでしたっけ。

柘植:そうですね。そこで初めてプロの現場を見させてもらって、CMってこうやって作ってるんだな、って思いましたね。「知ってるCM撮ってる監督だ」とか「見たことあるタレントさんがいる」とか……この場にいていいのかな?    とも思いました。

大石:自分なりの意気込みはありましたか。

柘植:正直、恐怖しかなかったですね。自分がいつかやりたかった仕事の場所に、初めて行ったので。僕の旅動画を見て依頼してくれたので、同じ感覚でやればいいのかなとは思ってやっていましたけど、正直CMのメイキングってそこまで見たことがなくて、そもそもどういうものなのかって、あんまりわかってなかったかもしれないです。タレントさんや役者さんにインタビューがあるじゃないですか。でも初めてだったので「何聞けばいいんだっけ?」みたいな感じでしたね。

大石:メイキングをつくったあとは、どう発展していったんですか?

柘植:同じプロダクションのプロデューサーから「じゃあ次はCMやってみる?」って言われて。「マジすか!」って。

大石:何のCMですか?

柘植:グローバルワークっていうアパレルブランドのCMです。

大石:長澤まさみさんが出てるやつですか。

柘植:そうですね。長澤まさみさんと大沢たかおさん。海外で活躍する日本人を尋ねていくドキュメンタリータッチのCMです。

大野:ちなみに、そのときってカメラはご自身でやられたんですか?

柘植:カメラは、カメラマンの方にお願いしたんですよ。「カメラマン誰にしますか?」って言われて、初めて選べるようになったんです。それまでは自分でやるか、お願いするとしても友達とか知り合いの人ぐらいで。

大野:あー、わかります。

柘植:選択肢がすごい広がったんですよ。「そんなことできるんだ」って思いました。
それで前から一緒にやりたいなと思っていた方にお願いしました。

大石:大野さんも柘植さんも、最初のCMにすんなりいきすぎて、あっけない(笑)。

大野:僕は柘植さんの旅の映像を拝見していないので、予想でしかないんですけど、あのころ「自然光が逆に映画っぽい」という流れに向かっていたと思うんです。その前はつくり込むライティングが主流だったけど、海外でも自然光が主流になってきたりして……僕も柘植さんも、CANON 5Dでその先駆け的なルックがつくれたという点は、共通している気がします。僕の場合は、まずルックが評価されて呼ばれたと思うんですよ。

柘植:僕もそうかもしれないですね。「どうやって撮ってるの?」って聞かれて「ひとりで5Dで撮ってきました」って答えると、「ひとり!?」って驚かれて。

大野:そうですよね。あの時代は二度とやってこないからラッキーだった。

柘植:ラッキーでしたね。

大石:確かに、時代に背中を押されていますよね。僕もその恩恵を受けているので、その通りだなと思います。
一方で、さっき話に出てきた柘植さんのメイキング映像——あれって、吉高由里子さんが出演されているグリーンレーベルのCMのメイキングですよね。


大石:前に資生堂さんから「メイキングをかっこよくつくりたい」ってオーダーを受けたことがあって、「こういうやつがいいです」って参考に見せられたのが、あの柘植さんのメイキングでした。最初、柘植さんが撮ってるって知らなかったんですよ。メイキングだけどこんなにいい雰囲気で、見応えのあるものがつくれるんだ、って思いました。オーダーを受けた時点ではもう5Dも普及していたし、柘植さんのメイキングだってかなり前の映像だったのに。だから、もちろん時代のことはあるけれど、単純にいいものだったんじゃないかなと思うんです。大野くんのグランツーリスモのCMメイキングも、めちゃくちゃ評判がよかったじゃないですか。
時代だけじゃなくて、ふたりの意思や、技術や、思いがあってこそ撮れたんじゃないかと感じるんです。

「主観的に撮って、客観的に編集する」

大野:僕から柘植さんに聞きたいんですが、自分で5Dを持っていって撮るときって、どういうことを考えていましたか。完成のビジョンがあったのか、とにかく1枚の画の美しさで撮ってたいたのか。それとも、頭の中に「あの映画のあのシーンみたいにしよう」って参考があったりしたんでしょうか。

柘植:まずブライダルの経験は生きていたかな思います。ひとつのイベントを1台のカメラで撮って編集するから、同じアングルから撮っていたら、つなぎづらいじゃないですか。だから別のアングルに入らなきゃいけない。あと、引きから引きにつなぐより、引きから寄りの方がつなぎやすいとか。
何よりブライダルって、次に何が起こるのか予測して先回りして、そこにいる必要があるじゃないですか。ケーキカットなんて一生に一度だし、絶対に撮り逃せない。そろそろケーキカットだなと思ったら、ケーキの前にいなきゃいけない。多分、そういうのが生きたんじゃないかな。おかげで初めてCM制作の現場に行ったときも「この辺にいたらこういうのが撮れるんじゃないか」みたいな予測はできた気がします。

大石:なるほど。

柘植:僕なりに「ビデオグラファーってどういうふうにやってたっけ?」って思い出してみたんですけど、テーマとしてあるのは「主観的に撮って、客観的に編集する」だと思います。そのときに自分がいいなと思ったものを、いいなと感じたように撮る。自分が感じたのと同じように「いいな」と感じてもらえるようにするには、どういう画がいいんだろうと意識しています。
でも、主観的に撮ったものを主観でつないじゃったら、見ている人にはわからない。だから、それを自分以外の人が見てもわかるように編集する。自分以外の人が見ても、僕がそのとき感じたように感じてほしいみたいから、そのためにはどういう風につないだらいいんだろうって考える。

大野:その意識にたどり着いたって、どの段階なんでしょうか。かなり初期の頃から、主観的に撮って、同じように感じてほしいって考えていたんですか?

柘植:旅動画をつくっているときに考えるようになりましたね。旅行番組とか、絵はがきとかで、この神社はここから撮った方がいいとか、この山はこっちから見た方がいいとかあるじゃないですか。でもほんとうに自分が旅したときは、曇っていたり、雨が降っていたり、人が多すぎて行けなかったり。でも隙間からその神社が見えたり。
たとえば「世界遺産」って番組がありますけど、本当に旅をしたとき、ああいう風には見えていない。だから、誰かが旅をした感じを出したくて、それを再現しようとしてつくっていました。天気が悪くてもいいし、綺麗に取れていなくてもいい。そういう風に見えてたんだからそうなんだ、っていう感じでつくってました。

大野:そういう感覚をくれる映画や映像が好きだった、みたいな背景はあるんですか。

柘植:ないかもしれません。というのも、旅動画は「これ、誰が見るんだろう……」と思ってつくっていたんです。誰かに見せるためではなくて、自分の思い出としてつくっていたので。

大野:今、かなり驚いています。なんでかっていうと、僕も似たような経験をして、似たような意識をもつようになったんですよ。
僕は中高生ぐらいまでは、いわゆるハリウッド的なつくられた映像がかっこいいと思っていたんです。でも大学に入って、ドキュメンタリーとか実験映画を色々見せられて、そっちが好きになっていきました——つくり込まれた爆発なんかじゃなくて、自分の生活に近いものをみて、共感できるようになった。「この映像、俺の見た景色のこと言ってる」とか「俺のこと言ってる」みたいに思える映画や映像が好きになったんです。そのころ、アメリカのあちこちを周ったんですけど、「ここすげえな」とか「ここ、こうだな」とかって感じたことを、画にできたらなと考えていました。さっきの柘植さんと似ていますね。
最初に撮ったセコムのCMも、まさしくそんな感じでした。5Dを持って、いろんな国に行って映像を撮るんですけど、いわゆる『ニコパチ』じゃなくて「あえてここから撮ろう」とか。僕はすごくフレアが好きで、夕日や空も好きだったので、「ここに夕日があるときに撮ろう」とか。自分の感覚とカメラがつながりはじめた……って、いったらいいのかな。

柘植:その感覚、すごくわかります。

自分の感覚とカメラがつながる

大野:多分、誰かの考えたものを誰かに言われて撮っていたらできなかった。自分で動かせるものがあったから、そこに行けたんだと思うんですけど、撮りたいなって思って撮る感覚っていうのが確かに芽生えて、そこからカメラが面白くなったんです。
だから、柘植さんの話を聞いていて「わかるわかる!」と思いました。

柘植:大野さんの話を聞いていると、僕らはやっぱり監督になるまでの間に“Take”をしまくってたんじゃないかなって思います。手の延長にカメラがあるぐらいまで “Take”をした結果、そういうものが撮れるようになったのかもしれないですね。

大野:あと編集も。自分の素材で編集をすると、「こういうのがあると、こういうのができる」って脳でつながってくるじゃないですか。ここもすごく大事だなって思いました。当時は、編集と撮影をつなげてやっていた人って、意外と少なくて。その部分は、ウェディング撮影の仕事のほうが直結してたかもしれない。

柘植:結婚式の撮影のバイトで初めて〈ビデオグラファー〉っていう言葉をきいて、「そうやって言うんだ!」って、名刺の肩書きにいれたのを思い出しました。それまでは、何してる人なんですかって聞かれても、撮影も編集も自分でやってるし、ディレクターですとは言いづらかった。

大石:「自分の感覚とカメラがつながる」というのはすごく共感しますし、その通りだと思うんですけど僕はその感覚を発見したのが、ふたりよりずっと遅いんですよ。たぶん、5〜6年前で、それこそ、大野くんと仕事するようになってからですね。そこから仕事が増えて成長できたとも感じています。大野くんも柘植さんも、初期に自分自身でその思いを獲得していたからこそ、大きなCMの仕事にすんなりつながったのかもしれないですよね。
やはり“Take”をしまくっていた経験が、その感覚の獲得に繋がったんでしょうか。

大野:量っていうのはあるかもしれないですよね。人間って同じものをずっと撮っていたら飽きて工夫をし始めるじゃないですか。もうちょっとよくしたいなという感情がどこかにあれば、なにかやり始めると思います。僕は元から映画が好きだったから、つまんない画じゃなくて「あの映画みたいなかっこいい画が撮りたい」「こういう映画が撮りたいって」いうのが先にありました。映像先行型っていうのかな。だから、真似してみるっていうのもたくさんやりました。やればやるほど、自分の遊べるスペースが生まれてくる。撮影の量にプラスして、明確じゃなくても「こうしたい」っていう思いがあると、撮れば撮るほど思いを試すことができる。

大石:なるほど。柘植さんの場合は、あのメイキングの現場で「自分が感じたものをつくった」っていう意識はあったんですか。

柘植:そうですね。ボイスオーバーで入っているインタビューの質問内容はお題としてありましたけど、画に関しては、初めてCMの現場を見に行った人の目線といいますか……まぁ、実際そうだったので。ここにいたら怒られそうだなっていうところは避けて「これを撮ってるとき、ここから見たら面白いんじゃないかな」って考えていましたね。
たとえば、人がカメラに向かって歩いていて、ステディカムが後ろに下がって撮影しているときは、横から見たら面白いんじゃないかな、とか。

大石:なるほど。

主観的な映像×広告の仕事

大石:今の話の大きなポイントは、自分が感じた思いを映像にのせる、ということですよね。今の若い子たちは、広告映像ではそれが全然できていないんです。広告の仕事になると、途端にクライアントありきの映像になってしまう。クライアントが何を求めているか、何をこの映像で伝えたいかっていう広告的なメッセージを意識しまくって、「仕事は仕事で自分のポートフォリオは別」という線引きをしている。主観の思いを広告にのせられていないんですよ。だから「主観的に撮る」ことに自分で気がつけるというのは、実はめちゃくちゃ大事なことだと思うんです。
そこで聞きたいんですけど、“Take”を重ねると、自分の思いがのってくるようになるんだと思いますか。それとも、思いがのらないと、 “Take”は撮れないんでしょうか。

柘植:ああ……難しいですね。僕は、大石さんがいった若い人たちと同じようにしているところがある。つまり、仕事に主観は入れていないんです。

大石:そうなんですか?

大野:それについて、僕の発見を話していいですか。柘植さんの映像って、どの仕事にも一定して優しい目線があるような気がしているんです。僕は、そこが一番好き。その柘植さんの「見守っている視点」って、既に柘植さんのスタイルというか、ある種の“主張”になっている気がするんですよ。要は、距離感そのものが、柘植さんの見ている世界の感じなんだろうなって。

柘植:ああ、大野さんのおっしゃる通りかもしれません。
僕としては、基本的にクライアントの伝えたいメッセージとか売りたい商品とか、クリエイティブのやりたい方向性をどうやったら具現化できるかくらいしか考えていなくて、自分の主観は入れようともしていない。とにかく、どういうものを求められてるのかっていうのに答えていくような仕事をしています。たとえば編集のとき「ここはこういう風にしてほしい」って指示には素直に従うタイプなんです。自分のいいと思うのは1回目でまあ出してるんで、そのあとに「こうしたい」「こういうセリフを入れたい」「これは嫌だ」っていうのは、全部その通りにするタイプなんです。
ただ、それでも残るもの——つまり、どれだけいじられても「ぽいな」って残るのがその監督らしさなんじゃないかな。距離感に関しては、確かに離れて見ているところがありますね。ドキュメンタリーだとしても、出演者ににその心の距離を近づけないタイプなので、カメラが近くても、実は心の距離があるっていう感じ。

大石:それって結局、自分が感じていることが、距離感も含めてカメラに映っているってことですよね。

大野:たぶんですけど、量を撮っていくと、自分の好きなレンズが生まれて、自分の好きな位置が生まれるじゃないですか。選択するようになる。選択すればするほど、それが自分の意思になるんじゃないかな。「今日は35ミリにしよう」みたいな、何てことない選択が、実はそれで主張だったりするんですよね。
何回も撮っていくと、自然と “Take”の中の “Make”が出てくる。 “Take” をつき詰めていくと、手の中の選択肢ひとつひとつが、意外と演出になってくる。

大石:前に居酒屋で話したとき、柘植さんはあんまり人にガツガツ行けないタイプとお聞きしたけど、それがレンズの選択や、相手との距離感、被写体とのコミュニケーションの仕方に反映されてるのかもしれませんね。柘植さんは無意識かもしれないけど、結果それは主観であって、自分の意思が反映されているってことなんじゃないかな。
一方で僕はもう、どんどん近づいて、熱いぐらいに近しくなっちゃう。大野くんは、どっちも使い分けられるけど割と僕寄りで、自分の思いとクライアントの思いを掛け合わせようとか、こうあるべきって意志があって、ガツガツ入れ込むタイプ。
結局ふたりとも、 “Take”を積み重ねて自分の思いをちゃんと選択した結果、 “Make”をできるようにになったというのが、ひとつの終着点なのかなって思いました。

大野:うん、あっていると思います。今日、柘植さんの話を聞いて結構感動したんですよ。
お互いスタート地点も近いし、共通の認識もあるし、共通点はあるんだけど最終的にやりたいことやたどり着いたことは、明確に色が分かれている。「僕とは違うな」って。いいな、面白いなって感じました。
たぶんAOI Film Craft Lab.でも、大石さんなりに「みんながこうしていくのがいいんじゃないか?」ってルートはあるけど、 “Take”、つまり撮るっていう作業を繰り返してる中で色が生まれてくるはず。自然に出てきた色ってのが、ディレクターの個性であって、そこには「こうあるべき」って答えがない。
ディレクターズファイルとか見ていると、こんなに監督いるんだって、ビビるじゃないですか。「世の中にこれだけすごいものをつくる人がいるんだ」「そんな中に俺は、俺でいてもいいんだろうか」って思うんですよ。でも、柘植さんは柘植さんのやり方で絶対にあっていて、その1つの答えがディレクターとして成立している。僕も僕の何かがあって成立している。監督って意外と違うんだなって、ちょっと感動しました。

柘植:結局は、その本人がどういう人間で、どういう風に世界を見てるかっていうものが出てくるんですよね。ツールや、やり方が同じだとしても、そこに自分が出ちゃうから、違ってくる。
大石さんの作品も、大石さんっぽい。画もそうだけど、写ってる人を見ても、なんか大石さんぽいなって思うところがある。撮ってる人が違うから違う、ってシンプルなことだと思うんですけど、ビデオグラファーとしてやっていく人たちには、そこに自分があることって大切で。誰かの作品をなぞるのではなく、自分の心が動いたものを撮っていくと、そこにたどり着くんじゃないかなという気はします。
ちなみに僕、大野さんの作品に共通する感覚をひとことでいいたいなと思って言葉を探していたんですけど、「エモーショナル」って言葉が一番あうかなと思いました。「エモい」って、なんかちょっと楽な言葉だなと思うんですけど、そうじゃなくて、大野さんの作品ってどれも、心にぐっとくる、エモーショナルな瞬間がある。そんな印象があります。企画が変わっても、そういう瞬間がある。

大野:ありがとうございます。僕の十数年のCM人生が報われた気がする。




★連載は全5回を予定しています。

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